スキーマ療法はお風呂にて

お風呂で足湯しながらスキーマ療法を少しずつ進めてる。

 

血流が良くなって考えやすい!

静かだから集中できる!

泣いたって平気!

 

何より安心を感じる場所だから。バスルームは、もはや私のセルフカウンセリングルームです。

 

一番苦しい場所も終わり、今は楽しいことを思い出すフェーズ。でも、最初、ポジティブな記憶がなかなか思いつかなくて。逆にネガティブな過去を思い出そうとすると楽しかったことを思い出すという逆転現象。なんだろう。こうやって自然とバランスとって自分を守ってるのかな?

 

しばらくポジティブを思い出す時間が続きそうだけど、時間をかけてゆっくり考えているとポツポツと増えてきて、思ってた以上に自分は優しい世界で育ったことに気づけて感謝の気持ちがあふれてる。

 

さぁ、最後まで気を抜かずにやっていこう!

引きこもりって定義ややこしいな

なんかまた朝のニュース番組かなんかで、朝イチとかいうの?引きこもりが取り上げられたっぽいね。もういい加減にしてほしい。

 

中年の女性に引きこもりが増えてる?まだ言う?それ??わたし家にいるのが好きだし何も困ってませんけど。家事で精一杯ですけど、遊び歩く余裕がなくてすみませんね。収入につながらない仕事を細々とやっても税金が払えるほど立派な稼ぎになってないだけです。まだ諦めたわけでもなく必死に日々勉強してますけど、それを引きこもりって問題視されたら黙ってられない。

 

もうちょっと困ってる人にちゃんと当てはまるカテゴリーなりネーミングなり考え直した方がいい気がするんだけど。なんで外出してなければ困ってる人扱いなのか。そうやってレッテル貼ることでどんどん生きづらい人を逆に増やしているし、心配なネタを増やしてるんだってメディアが気づいて正してほしい。なんのための報道なの?人々を困らせる元凶になってるよ?

 

朝の散歩から始めると良いとか余計なアドバイスまでしたっぽい。

 

外に出るって勇気が少しいったりします。メイクだとか服装だとか色々気を使うから気軽にあちこちフラフラっていうより出かけるのにか少しばかり気合いが必要でして。特に普段インドアだとね。

 

でもそれを「不安」という言葉にして助けを求めたいかどうか???そのために使う言葉が「引きこもり」で良いのか?もっと社会不安とかちゃんと病気として扱った方が良くない?ただ家にいる人が増えて…ってどういう分け方??今どき家の中でできる仕事が山ほどあるのに?あの人引きこもりかしら?とか言われたくないんですけど?逆にそう思われるんだろうか?そう扱われたくないなぁ…と考えすぎて病みそう。

 

なぜか知らないけど内向的な人を悪いことのようにしたい人が世の中に山ほどいるのは何なんだろう?なんかそういう悪意みたいなものを感じてイラッとしてしまう。

 

最近、昼間暑いし、でも運動不足になりたくないから、朝ゴミ捨てのついでに近所を歩き始めて、あら、なんか良い感じ!とか思ってたけど、あの人引きこもりなのかな?とか思われるんかと思ったらフラフラと散歩しにくくなったわ!!!怒

 

と、ここまでプンプン怒っていたのだけど、そもそも人からどう思われるかそんなに気にすることなんてない!人にどう思われてるだろうか?と気にし始めるから不安な気持ちに負けちゃうんだよな…もっと生きたいように生きてるんです!それがなんか文句ある?って強気で。そして自分軸で自分にとって必要なことをしているなら堂々としていれば良いってこと。あらためて考えさせられた。

 

おバカな報道。勝手に言ってればいい。ちっさな怪我を気にして大騒ぎしてみんなの注目を集めたい「かまってちゃん」みたいな報道の仕方だ。もっと広い視点で物事を見て世の中に気づきを与えるのがプロフェッショナルの仕事じゃないの?近所のおばさんの井戸端会議レベルをわざわざ報道しなくてもいい。

 

さあ、プンプンしてないで、堂々と生きようっと。

面倒くさいのそのワケが衝撃的だった。

「面倒くさい」のそのワケが衝撃的だったからメモっとく。

 

とにかく面倒くさい。何もかも。あー今日も起きるの面倒くさい。ご飯作るの面倒くさい。片付けてもまた明日も同じように片付ける…この繰り返し。面倒くさい。生きてることがそもそも面倒くさい!起きたら寝て。一日に何度も食事するのも顔洗うのも着替えるのも…

 

昔から何でもぐずぐず面倒くさがる子だった。なかなか取りかからないわたしに母もあきれ顔。あなたはエンジンかかったらやるけど、エンジンかかるまでが遅いのよねーって。

 

わたしはそもそもどうしてこんなに面倒くさがりなんだろう?そう思って、何気なく検索していたら衝撃的な事実を見つけてしまった!

 

「面倒くさい」は「もうこれ以上傷つきたくない」なんだって!!!!

 

そう言われてみると、そうなのよ。わたし、もうこれ以上、傷つきたくない!って思ってる。嫌な思いをしたくないって。家の外に出ると誰かに会うかもしれない、そこで何か嫌な気分になるかもしれないと思ってるから面倒くさいんだ!気づかなかったけど、そうだ!それ!

 

ご飯を作るのが面倒くさいのも、ご飯作るの苦手だと思ってるし、失敗したら食べるものない…ってなるのが怖いって心のどこかで思ってる。こんな簡単なことも失敗したら自分にがっかりしちゃうだろう。そんな自分を見たくなくて面倒くさいって思ってる。

 

絵を描くのが好きなのに面倒くさいと思ってしまうのも、失敗したり、下手な自分を認めたくなくて億劫な気持ちが押し寄せてくる。

 

顔を洗うのも自分の顔と向き合うのが嫌なのかも。服を着替えるのも、モタモタしている自分が嫌いだから。服を決めるのが面倒くさいのも、着ていった服で何か人に言われた経験が頭をよぎって、これで大丈夫かな?って傷つきたくない気持ちがある。

 

そういえば、面倒くさいって気持ちが起こらない行動って、自分の傷ついた記憶や嫌な気持ちと結びついていない!「快」が占める割合がとてつもなく大きいと全然億劫じゃないのね!

 

行動をなかなか起こさないことは、前から悩んでいて、それはADHDからくる優先順位がつけられないことや見通しを立てるのが苦手などが理由になるんだけど、それが分かってもどうにもならない億劫感がなんかあるな…と思ってた。

 

それはきっと自信がないのね…と思って自己肯定感を上げれば良いのかと自分にやさしい声かけしてみたり、出来てることちゃんと認めてあげるようにしたり。それも効果的ではあったけど、どうも自分を甘やかす方ばかりに行ってしまう気がしてどうもしっくりきていなかった。今回の「傷つきたくない!」って言葉がピッタリで、これに気づいたことが一番救いになるかもしれない。欠けていたピースが埋まったような。欠けていたレールがこれで埋まったような、これで前に進めそうな気持ちがしてる。

 

ひとつひとつ、面倒くさいって気持ちがふっとわいてくる度に「何に傷つきたくない?」って考えてみてる。その理由を考えてみると気持ちが落ち着いて、じゃあ、そうならないようにやってみよう!って、少しやってみる勇気が持てる気がする。

 

これ、忘れないでおこう。毎日、どんな些細なことでも、どうしてかな?って優しく自分に聞いてあげるようにしよう。

 

どうにもこうにも動けない時

どうにもこうにも動けない時ってどうしてる?私は動けない日がとっても多くて困っちゃう。でも、ほんの少しずつコントロールできるようになってきている気がします。失敗を繰り返しながら少しずつ少しずつ…

 

ここからは私の覚え書き。忘れそうになったらここを読むんだよ、自分。

 

 

とにかく自分を責めちゃダメってこと。とにかくそういう日なんだねーって頭の中で優しい言葉をかけること。自分が自分の一番の味方。自分だけは絶対的な味方でいてあげること。自分の中に最高に優しい愛情あふれる、そしてしっかり頼れるお母さんを作り上げてしまう感覚で。もう私は大人。自分で自分を育てれば良いってこと。

 

あわてたり焦ったりしちゃダメってことも分かった。だから、スローモーションで動く!とにかくゆっくりと頭の中にある「すべきこと」を信じられないくらい全力のスロースピードで書くのが私には合っている。でも、その前に深呼吸しながら、ゆっっっくりと飲み物を飲むって行動が効く。

 

深呼吸は腰より少し上のあばら骨に手を当てて、上がったら下がったり動くのを感じながらしっかり膨らませてしっかりしぼめて。ゆっくり呼吸すること。

 

飲み物は麦茶でもコーヒーでもハーブティーでも。ゆっくりキッチンに向かってゆっくりグラスを出してきてゆっくり注ぐ。もしくはゆっくりコーヒーを丁寧に入れる。音をしっかり聞きながら、手の感触にも集中して。香りもしっかり嗅いでみる。

 

そしたらドリンクを持って座る。ノート、もしくはコピー用紙を出してきて、お気に入りの万年筆でゆっっくり書き出す。今日すでに出来たこと。今、やらなくちゃと思ってること。今の気持ちも書き出して。やらなくちゃと思っていることは小さなステップに細分化。1分で出来ちゃうレベルまで。(どれから手につけるかは気分次第だし、迷ったときのことはまた今度、覚え書きとして書いておこう)

 

ここまで出来た頃には気持ちが落ち着いてきて動けてるはず。この習慣、この一連の流れだけは忘れないようにしよう。

ADHDが落ち込みから抜け出すのに大事なポイント

ADHDがあると落ち込みからなかなか抜けられない、その理由をひとつ見つけた気がする。

 

この頃、無気力&落ち込みからようやく抜け出せてきたかなーと思って喜んでいたら、元気が出てきて行動が増えたことで不注意によるミスも増えてきた。そして自分のそそっかしさにガッカリ。

 

そうだった、私はやっぱり発達障害なんだなぁ。だめだなぁ、こんなんじゃ。いろいろ自信ないわーって。クヨクヨの渦に巻き込まれてしまった。

 

落ち込んでいる時は、あんまり動けない。そうするとミスらない。ミスりようがないもんね。動けてないから。で、ちょっと復活してくると、行動が増えるからそれにともなってミスが出てくる。ここがなかなか復活出来ないポイントなんじゃないかな?って感じた。

 

このポイントがあることを予め分かっていれば、あぁ、ミスるぐらい動けてるってことだよね!良し!良くなってきてる!って前向きにとらえて自分を励まして進むことが出来るかもしれない。

 

あらかじめ心の準備が出来てるといいよね。

コロナに感染したのかも?してないのかも?そんなこんなでしばらく書けなかったよ。

張り切ってセルフカウンセリングを始めたのに、我が夫さんが職場からコロナをもらって帰ってきてしまい発熱。ついにきたか!わたしもそれをもらってしまったのか遅れて発熱。自分の心と向き合ってる場合じゃなくなっちゃった。

 

幸い、解熱剤を飲んで一週間もせずに熱が下がって、あぁだからコロナは騒がれなくなったのだなぁと思ったものの、やっぱり熱が出ると慌てちゃうもんですね。今までインフルエンザもかかったことがなかったので、なんとなく大丈夫な気がしてましたが、ついに!でした。

 

不思議なことに検査薬で調べたら陰性だったんですよね…。しかも二度調べたのに二度とも。もしかしたらインフルエンザかな?でも症状は夫さんのコロナとそっくり。なんなの?「いったい私は何と戦ってるの?」とずっと言ってました。しかも検査薬といえば妊活以来で、おもわず陽性を願ってしまった!笑っちゃう。結果、陰性でなんだか落ち込む私。違う違う!今回は陰性で良いのよ。熱を出しながらほろ苦い思い出に浸ってしまいました。

 

あの頃は本当に子どもが欲しいのか分からないまま、覚悟もないまま陽性を願っていたなぁ。なんとなく妊娠してみたかった、喜んでみたかった。せめて妊娠検査薬で陽性って体験してみたかった。本当に本気で子どもが欲しかったかと聞かれると…???ちょっと違ったような気がする。

 

あの時、子どもを授かっていたら、今頃めちゃくちゃかわいがっていただろうし、子育て頑張っていたと思うし、いろいろ大変でも楽しいこともたくさんあっただろうし、生き甲斐みたいなものは得られただろうな。そしたら今頃、毎日必死で生きるてるだろうし、今みたいにくよくよ悩む暇もなかっただろうな。

 

そんな妄想をしながら、冷静になって今の現実をみると子どもを授からなかったことが我が家にとっては大正解だったし、結果的にホッとしている自分がいる。授からなくて良かった。というか、私には荷が重すぎたと思う。なるべくしてこういう結果になったのだから、きっとわたしには他にやるべきことがあるんだろうなと思ってる。結局、子どもが欲しかったというより、人生のミッションが欲しかったのかもしれない。それが仕事でも子育てでも何でも良かったのかも。そして、今、自分にそのミッション的なものが何もなくて、それが何なのか分からなくて悩んでいるんだろうな。

自分でスキーマ療法やってみる Day1〜Day3振り返りと「ひきこもり」って?の話。

 というわけで、自分でスキーマ療法やってみる Day1~Day3の記録。

使っているのは『自分でできるスキーマ療法ワークブック』Book1 

 

Day1

これから先への希望を胸にドキドキしながら本を開く。あぁ、この瞬間大好き!

 

何でもざざっと大雑把に取り組んでしまいがちなので、はやる気持ちを抑えつつ、丁寧に1ページ目から読んでいった。Book1ではレッスン10まであるようで、一日目はとりあえずレッスン1を丁寧に読むことにした。

 

優しさのあふれる文体にすでに癒されつつワークに取り組んでみる。ん?正直、物足りない…苦笑 張り切っているわたしのテンション。この気持ちをどこへ持って行けば良いのですか?拍子抜けするぐらいゆっくりと進んでいきます。でも、今回は焦らないと決めています。(いや、焦ってるけど)ちゃんと用法用量守って取り入れていこうと自分に言い聞かせ、ゆっくりと頑張りました。

 

はじめに本を全部一気読みしてしまいたい衝動にかられていますが、ここは丁寧に。読んでしまうとすぐに飽きてしまうので、あえて先には進まず。先のページは開けないようにしています。(がんばれ私!)

 

Day2

引き続きレッスン1のワークを。まだまだスキーマ療法のお膳立て部分。それでも2日目にして自分の中にある希望と向き合うことが出来て、温かい気持ち、希望あふれる気持ちになれました。そうそう、わたしにはこういう強い部分もあったなぁ。弱ってしまっていた心の中に希望が残ってた。食べきってしまったと思っていたお菓子の袋の中に残っていたひとかけらを見つけたような、あ!あった!みたいな嬉しい気持ちになれました。(ワーク1−2にて)

 

ちなみに、このワークブックでは、めちゃくちゃ何度も「少しずつ丁寧に進めてね」とやさし〜く忠告されます。なので、がんばって、出来る限りゆっくり進めていきたいと思います。出来る限り…苦笑

 

Day3

レッスン2に突入。人間関係に関する項目なので、ちょっと逃げ出したい気持ちに。なんとなくモヤモヤっと。なんだか自分の周りの人間関係についてあまり直視したくない気持ちになるのです。特に何か人間関係に大きな問題があるわけではないんですけどね。大事な人がひとり、ふたりいれば十分で、薄〜い人間関係が好きです。あ、後は遠くにいる人を大切に想うのが好きです。なんかスペースが欲しいんですよね。

 

そんなわたしでも、レッスン2のワークはとても良い気づきが得られて、思っていたほど苦しい気持ちにもならず、ほわ〜んと温かい気持ちになれました。ここまでで得られた安心感、大事にしていこうと思います。すでにこのワークブックやってみて良かったと思えました。いい感じです。

 

人間関係のテーマって、反射的に取りかかりにくいと思ってしまう。このひっかかりはどこから?思い出すと幼い頃から、たくさんお友達とお話しましょう!みんなと一緒にね!と押しつけてくる感じ。あれが苦手だったなぁ、と。

 

パーソナルスペースは人それぞれ。人とのつきあい方、頻度も密度も人それぞれ。世間の基準に当てはめず、自分の身の回りをよく観察してみると、どんな人にも心の支えとなる誰かがいるものなんですよね。そんな自分の心地よい人間関係でいいんだよ、と言われると、人間関係苦手!と強く思わなくなるかも知れないな、と思えました。

 

「ひきこもり」って言葉も同じ。6ヶ月でしたっけ?なんか基準を作って問題視してくることにものすっごく抵抗があります。期間でも、行動範囲でもなく、温かい居場所があるかどうか、それが感じられて安心感があるかどうか、そこが問題なだけ。こもってるかどうかなんて関係ないよね。

 

「ひきこもり」という言葉は助けを必要としている当事者が使うことで同じ境遇を見つけたり、必要な援助を受けるためのきっかけになったり、とても意味のある言葉になってくると思うけれど、外からその言葉を使うのは的外れになりがち。使い方の難しい言葉だと思うのは私だけでしょうか?当事者ではない人が、その言葉の定義を使って判断したり、枠を作って当てはめて管理したり、問題を探そうとしたりしてみても、何にも解決に向かわない。この言葉が広がれば広がるほど不必要に追い込まれる人も増えている気がしています。きっとそれだけ事情がそれぞれ多様だってことなんだろうなぁ。

 

おっと、話がそれてます。まぁいいや。なぜ私がこの言葉に敏感かというと、転職の多い私が求職中にけっこう気軽に周囲から「ひきこもり?」って冗談半分に言われることがあり、笑って「そうかもね〜?」なんてごまかしたけど、けっこう傷ついていた自分がいたから。

 

定年なんてほぼ無いに等しい今の時代に、男女共にこれからずっと働き続けるのに、たった半年、精力的に動いていないからと問題視されるって、たった半年、自分を振り返る時間をひとりで持つことさえ責められている気分にさせられるって、どこまで不寛容で人を追い込む世の中なんだろうって悲しくなっちゃう。

 

でもね、そう感じるかどうかは自分次第で、きちんと自分が自分の味方でいられたなら、人からどう言われても、どう思われても、気にする事なんてないはず。自分に必要な時間をしっかり取って自分を大事にすることが出来る気がする。

 

犯罪者でもないし、誰かを傷つけたワケでもなく、むしろ周囲からの心ない言葉に傷ついたのはこっちなのに「ごめんなさい」って気持ちで暮らすなんておかしい!「自分の時間をどう使うかは自分が決めます、ご心配いりません、大丈夫です、ありがとう。そう言い切ったら良し!

 

大事なのは、そうやって自分を守れる自分であること。そんな自分をしっかり作るためにも、今、こうやってセルフカウンセリングしていることに意味があると思ってる。昔と比べて、ずいぶんはっきりと自分の味方でいられるようになってきた。それでも、ちょっと日常生活でバタバタしたりすると昔の弱〜い「なんかごめんなさい」モードの私が戻ってきてしまうので、引き続き、学んでいこうと思ってる。