面倒くさいのそのワケが衝撃的だった。

「面倒くさい」のそのワケが衝撃的だったからメモっとく。

 

とにかく面倒くさい。何もかも。あー今日も起きるの面倒くさい。ご飯作るの面倒くさい。片付けてもまた明日も同じように片付ける…この繰り返し。面倒くさい。生きてることがそもそも面倒くさい!起きたら寝て。一日に何度も食事するのも顔洗うのも着替えるのも…

 

昔から何でもぐずぐず面倒くさがる子だった。なかなか取りかからないわたしに母もあきれ顔。あなたはエンジンかかったらやるけど、エンジンかかるまでが遅いのよねーって。

 

わたしはそもそもどうしてこんなに面倒くさがりなんだろう?そう思って、何気なく検索していたら衝撃的な事実を見つけてしまった!

 

「面倒くさい」は「もうこれ以上傷つきたくない」なんだって!!!!

 

そう言われてみると、そうなのよ。わたし、もうこれ以上、傷つきたくない!って思ってる。嫌な思いをしたくないって。家の外に出ると誰かに会うかもしれない、そこで何か嫌な気分になるかもしれないと思ってるから面倒くさいんだ!気づかなかったけど、そうだ!それ!

 

ご飯を作るのが面倒くさいのも、ご飯作るの苦手だと思ってるし、失敗したら食べるものない…ってなるのが怖いって心のどこかで思ってる。こんな簡単なことも失敗したら自分にがっかりしちゃうだろう。そんな自分を見たくなくて面倒くさいって思ってる。

 

絵を描くのが好きなのに面倒くさいと思ってしまうのも、失敗したり、下手な自分を認めたくなくて億劫な気持ちが押し寄せてくる。

 

顔を洗うのも自分の顔と向き合うのが嫌なのかも。服を着替えるのも、モタモタしている自分が嫌いだから。服を決めるのが面倒くさいのも、着ていった服で何か人に言われた経験が頭をよぎって、これで大丈夫かな?って傷つきたくない気持ちがある。

 

そういえば、面倒くさいって気持ちが起こらない行動って、自分の傷ついた記憶や嫌な気持ちと結びついていない!「快」が占める割合がとてつもなく大きいと全然億劫じゃないのね!

 

行動をなかなか起こさないことは、前から悩んでいて、それはADHDからくる優先順位がつけられないことや見通しを立てるのが苦手などが理由になるんだけど、それが分かってもどうにもならない億劫感がなんかあるな…と思ってた。

 

それはきっと自信がないのね…と思って自己肯定感を上げれば良いのかと自分にやさしい声かけしてみたり、出来てることちゃんと認めてあげるようにしたり。それも効果的ではあったけど、どうも自分を甘やかす方ばかりに行ってしまう気がしてどうもしっくりきていなかった。今回の「傷つきたくない!」って言葉がピッタリで、これに気づいたことが一番救いになるかもしれない。欠けていたピースが埋まったような。欠けていたレールがこれで埋まったような、これで前に進めそうな気持ちがしてる。

 

ひとつひとつ、面倒くさいって気持ちがふっとわいてくる度に「何に傷つきたくない?」って考えてみてる。その理由を考えてみると気持ちが落ち着いて、じゃあ、そうならないようにやってみよう!って、少しやってみる勇気が持てる気がする。

 

これ、忘れないでおこう。毎日、どんな些細なことでも、どうしてかな?って優しく自分に聞いてあげるようにしよう。